板橋(大窪村)で有名なものは『お地蔵さん』と『秋葉山』であることは、序章で紹介しましたが、今回は『秋葉山』のことに触れてみたいと思います。
 
時は1596年、関ヶ原の戦いまで後あと四年、豊臣秀吉が没する二年前です。
当時、関東を統治していた徳川家康は、『遠州秋葉大権現』を厚く信仰していました。
その遠州秋葉山麗の犬居城主であった大久保忠世が、徳川家康の命により小田原に移りましたが、徳川家康をこよなく尊敬していた大久保忠世は、家康に習い秋葉大権現を信仰していましたので、小田原城主になったとき秋葉大権現を小田原に勧誘し、一月坊竺禅が開いたと言われているのが『秋葉山量覚院』です。
 
 
秋葉権現は、信州出身の修験者で観音菩薩の化身とされた三尺坊が没後、『秋葉三尺坊大権現』として祀られたのが起源とされ、観音菩薩を本地仏として75の眷族(狐や龍神など)を従えています。
別名、大徳山秋葉寺『火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神』を祭神として祀る火防の神様として、全国各地の消防、火力発電など『火を扱う仕事』の関係者をはじめ、多くの方がお参りとお札を求めて訪れます。
 
毎年12月6日に催される『小田原秋葉権現火防祭』は、独特な雰囲気で行われます。
厳粛かつ荘厳に進められる儀式は、中央に松の木で紫燈を組み着火、炎が最高潮に達したころ火炎の四隅に弓を射る宝弓式、火炎を回りながら炎を切る宝剣式、まさかりにて大地を打つ宝斧式、導師が二本の松明を振り回し、炎の周りを『火防の呪禁』を唱えながら廻る様は、まさに炎との戦いを思わせます。
更に山伏問答へと続き、そしてメインイベントの『火渡り』となります。
紫燈が崩され、おき火となった上を火伏せの呪文を唱えながら導師が一気に渡り、それに続いて参加者も火渡りを行うのですが。
渡り終えた方々は、なぜか皆が晴々とした、『良い顔』をしているように見えます。