『小田原市板橋字富士山』この地名は、豊臣秀吉の小田原北条攻めの時には名付けられていたと言うことは、それ以前の何時代か?
はっきり言って分かりませんでした。色々調べましたが、明確な記述は御座いません。
そもそも『富士山』と呼ぶのですから『日本一の富士山』を調べるべきでしょう。
元々自然崇拝の『山の神』は、円錐形の山に降臨するとされてきました。
『山の神』を信仰する修験道の中に、富士山を神格化する富士信仰の講集団がありまして、彼らも富士講(浅間講)と名乗っていました。
『浅間神社』(せんげんしんじゃ・あさまじんじゃ)に祀られる浅間大神は、記紀神話に現れる木花咲那姫命(このはなのさくやひめ)と見て、これを祀る神社です。
『山の神』は日本全国に1300社ほど鎮座していますが、中には木花咲那姫命の父神大山祇神や、姉神磐長姫神を主祭神とするところもありますが、どこも山容は富士山麗に似ている地、もしくは富士山が見える地に多く存在します。
『小田原市板橋字富士山』も独立した円錐形の小山です。
富士信仰=浅間(仙元)信仰が流行した頃は、この形状の山は、神が降臨した地とみなされ神聖視されていました。 事実、山頂付近には『浅間社』が祀られています。
これは私の思いですが、
『浅間社』が祀られている山に、秋葉大権現を勧誘したことになりますが、富士信仰と秋葉信仰と間で、摩擦はなかったのだろうか?
山頂に祀られている『浅間社』を、現在も秋葉信仰が守っているのはなぜだろうか?
同じ山岳信仰を目指す者同士の、絆のせいだろうか?
現代人の私としては、両社で摩擦が生じるのが当り前で、『秋葉さん、後は宜しく』とした富士信仰は凄いし、『富士さん、後は任せて』と、現在まで続ける秋葉さんも凄い。
『小田原市板橋字富士山』とは、こんなにも凄い歴史を経てきた処なのですね・・・
歴史だけでは無く『富士山』は、環境、景観、自然、等々、それは素晴らしい処ですよ~
次回からは、現在の技術を駆使して建てる、安全、安心の建物、
富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・
そのへんのところを 『乞う、ご期待』。